巻頭言2015


12月号

大白蓮華 2015年(平成27年)12月号(No.794)

『心こそ大切』のチームワークを!

創価学会名誉会長  池田大作

 世界的に名高い外科医の友に、大手術を成功させる心構えを尋ねたことがある。答えは明快(めいかい)であった。
『チームワークです!』
 とりわけ、陰で支えてくれるスタッフと心を一つにして、皆でベストの力を出し切ることである、と。
 これは、万般に通ずる勝利の鉄則であろう。
 この一年も、わが創価家族は『異体同心』という最極のチームワークで、大法弘通(だいほうぐつう)〈注:正法を広めゆくこと〉に邁進してきた。

『誠心誠意を尽くした仕事は満足をもたらし、そこに悔(く)いはない』と、マハトマ・ガンジーは語った。
 自らの悩みや課題を抱えながらも、法のため、人のため、社会のため、陰の労苦を惜(お)しまず奮闘を続けてくれる尊き宝友に、私は感謝の宝冠を捧(ささ)げたい。

 広宣流布の勝利島の原点たる佐渡の地にあって、日蓮大聖人にお仕えし、流罪を勝ち越えられた後も、師弟の道を貫き通したのが、阿仏房(あぶつぼう)と千日尼(せんにちあま)である。

 夫妻は『にくまばにくめ』〈御書 1308ページ〉と、障魔(しょうま)の烈風(れっぷう)の矢面(やおもて)に立って北国の一門を守り抜いた。心揺れる後輩も包容(ほうよう)し、温かく励ましながら、阿仏房は、大聖人のもとに、幾度となく馳(は)せ参じたのである。

 大聖人は、夫を送り出した千日尼に仰せられた。
『御身は佐渡の国にをはせども心は此(こ)の国に来れり、仏に成(な)る道も此(か)くの如し、我等は穢土(えど)に候(そうら)へども心は霊山(りょうぜん)に住(すむ)べし』〈1316p〉と。
 会わなくとも、貴女の命はここに届いています。私たちの心は、いつも一緒に常寂光(じょうじゃっこう)の都にあります。

 すべてを包まれる御本仏の仰せである。健気な婦人部、女子部をはじめ、わが創価家族を照覧(しょうらん)してくださっている御心と拝されてならない。
 昭和31年、あの大阪の戦いも、皆で心の境涯を明るく大きく開きながらの楽しき前進であった。

 夫を戦争で失い、魚の行商をして、懸命に家族を支える母がおられた。私がユーモアを込め『一畳あれば、勤行も対話もできます』と励ますと、『うちは四畳半もあるから大宮殿や!』と笑顔を輝かせて、ますます元気に広宣流布へ飛び回ってくれた。
 やがて広くなった新居も会場とされ、多くの青年リーダーを育てていかれた。後継の御一家には、今も『お母さんのお陰で』と感謝が寄せられる。

 御聖訓には『凡夫(ぼんぷ)は志(こころざし)と申す文字を心へて仏になり候なり』〈1596ページ〉と結論されている。

 心がいずこに向かっているか。妙法と共に、師弟と共に、同志と共に、慈折広布(じしゃくこうふ)を目指しゆく心は、そのまま大宇宙の仏界の次元に必ず必ず達する。

 この仏法の極意(ごくい)に立てば、何も嘆(なげ)くことはない。たとえ若い時のようには体が動かなくとも、同志や後輩たちに題目を送る多宝の友は、仏意仏勅(ぶついぶっちょく)の学会の城で、無量の『心の財(たから)』を自在に積んでいるのだ。

『見えないところで戦う同志を最大に尊敬し、心を配っていく。これが学会精神だよ』。この恩師の指導を忘れず、『心こそ大切』のチームワークで、いやまして仲良く朗らかに勝ち進んでいこう!


  偉大なる
   広布の貢献
     陰徳に
    無量の陽報   
     三世に輝け

11月号

大白蓮華 2015年(平成27年)11月号(No.793)

母の讃歌を! 女性の凱歌を!

創価学会名誉会長  池田大作

 尊(とうと)き婦人部・女子部の健闘を伺(うかが)う度に、私は思う。
 日蓮大聖人は、いかばかり喜ばれ、この女性たちをどのように讃(たた)え、励(はげ)ましてくださるであろうか、と。

 御義口伝には、「大悲(だいひ)とは母の子を思う慈悲の如し今日蓮等の慈悲なり」(721ページ)と仰せである。

 仏法の根本の慈悲(じひ)を「母の心」に譬(たと)えられている。
 この母の心が、平和・文化・教育を推進(すいしん)する創価の人間主義の中心にある。だからこそ、学会のスクラムは、限りなく温(あたた)かく、そして明るいのだ。
 生命を慈しみ、人ひとりを大切にする母たち、女性たちの笑顔が最も歓喜(かんき)に輝きわたる世紀を創(つく)る――ここに、人類の境涯(きょうがい)を開きゆく、我らの「広宣流布」「立正安国(りっしょうあんこく)」の実像があるといってよい。

 法華経の宝塔品(ほうとうぼん)の会座(えざ)には、荘厳(そうごん)にして壮大なる七宝(しっぽう)の塔を中心に、多宝如来(たほうにょらい)・釈迦如来(しやかにょらい)・十方の諸仏(しょぶつ)・一切の菩薩が集まっておられた。
 この宝塔品の世界とは、只今いずこにあるのか。
       
 大聖人は、門下の女性に明快(めいかい)に示しておられる。
 「日女御前(にちにょごぜん)の御胸(おんむね)の間・ハ葉(はちよう)の心蓮華(しんれんげ)の内におはしますと日蓮は見まいらせて候」(1249ページ)と。

 おとぎ話のような素晴らしいロマンの宇宙が、他のどこでもない、妙法と共に生きゆく女性の胸中に、晴れ晴れと広がっている。
 断じて不幸に負けない仏の勇気も、縁する友どちを幸福へと導く仏の慈悲も、今いる場所から平和を創(つく)り広げる仏の智慧(ちえ)も、全部、貴女の心にあると、教えてくださっているのだ。

 にぎやかに
  対話の百花(ひやっか)
   咲かせゆけ
  友の生命(いのち)の
    奥まで照(て)らして

 この。希望の大発見を、創価の女性たちは自らの生命を宝塔(ほうとう)と輝(かがや)かせて立証(りっしょぅ)してきた。

 1964年の12月2日、沖縄で小説『人間革命』を書き起こした日、私は、ある御一家に励ましを贈った。夫妻で目が不自由な中、難病のお子さん方を育てつつ、信心を貫(つらぬ)いていた御家族である。
 偉大な母は同志と手を取り合い、弘教(ぐきょう)に挑(いど)んだ。
悩みを抱えて自宅に駆(か)け込んでくる友とも、一緒(いっしょ)に涙し題目を唱え抜き、一つ一つ宿命転換(しゅくめいてんかん)していった。

 今、社会で勝ち光る後継の巻属(けんぞく)に包まれ、母は語る。
 「障害(しょうがい)も悪口(わるくち)も忘れるほど無我夢中(むがむちゅう)で、学会歌を歌いながら走りました。何かあっても『さあ、どう乗り越えようか!』と心を決めて戦えば、楽しい」と。

 ともあれ、にぎやかな白ゆりの母たちの確信の声にこそ、また、伸びやかな華陽の姉妹のありのままの振る舞いにこそ、全てを蘇生(そせい)させゆく活力がある。

 世界の識者が仏法を理解する契機(けいき)も、その多くが身近な婦人部・女子部の方への感銘(かんめい)からである。
 戸田城聖先生は、女性の同志をよく激励された。
 「朗(ほが)らかに、はつらつと自分を開いていけば、そこから周囲も変わる。どんな試練(しれん)にも最後は必ず勝つという証(あか)しを、この信心で残していくんだよ」と。

 長かった悲嘆(ひたん)の女性史を一変させる時が来た。
 「女子は門をひらく」(1566ページ)。
 この無限の広がりを持つ御聖訓(ごせいくん)の如く、人類の境涯革命の門を開きゆこう! 母の讃歌(さんか)を、女性の凱歌(がいか)を轟(とどろ)かせて!

10月号

大白蓮華 2015年(平成27年)10月号(No.792)

種を蒔く誇り!育てる喜び!

創価学会名誉会長  池田大作

 春夏秋冬、わが誉(ほま)れの農漁光部の同志の皆様方に、私は題目を送り続けている。海苔屋(のりや)に育った私には、農漁業の日々の御苦労が、深く偲(しの)ばれてならない。
 「食は命」なり。自然災害や天候の不順などにも屈(くっ)せず、一番大事な命を守り、育んでくださる聖業に、私たちは、あらためて心から感謝を捧(ささ)げたい。

 日蓮大聖人は、農作物が早い遅いの差があっても一年の内に収穫(しゅうかく)できることを譬(たと)えとして、「法華経の行者(ぎょぅじや)は如説修行(によせつしゆぎょう)せば必ず一生の中に一人も残らず成仏す可し」(416ページ)と仰せである。
 この通りに、創価学会と共に広宣流布に生き抜き、一生成仏の黄金の総仕上げを飾りゆかれる多宝の方々の顔が、日本にも世界にも輝きわたっている。

 大聖人の仏法は「下種仏法(げしゅぶっぽう)」である。
 悪世末法(あくせまっぽう)における妙法の「下種」(種を下ろす)とは、こんな荒れ地に種を植えても無駄(むだ)であると見放されてきた衆生の心の大地にも、光を当て、手を差し伸(の)べていく未聞(みもん)の挑戦である。
 御書には、「但(ただ)南無妙法蓮華経の七字のみこそ仏になる種には候へ」(15553ページ)と断言なされている。
 どんな人であれ、どんな境遇(きょうぐう)であれ、題目を唱えゆくならば、仏の生命を現(あらわ)すことができるのだ。
 ゆえに我らは種を蒔(ま)く。妙法という究極(きゅうきょく)の幸福の種を、我と我が友の心田(しんでん)に蒔き続ける。いかに厳(きび)しい現実の宿命があってもたじろがず、「絶対に仏になれる。一緒に幸せになろう」と語り切りながら!

 わが弟子と
   万年の種(たね)
    植(う)えにけり
  幸(さち)の人華(にんげ)よ
    未来(あす)へ薫(かお)れや

 なかなか折伏(しゃくぶく)が成就(じょうじゅ)せずに悩んでいる、けなげな同志を、戸田城聖先生は温かく労(ねがら)われた。
 「何も嘆(なげ)くことはないよ。すぐに信心する発心下種(げしゅ)と法を聞かせる聞法下種(もんぽうげしゅ)は、功徳は同じだ。必ず実る時が来る。だから、どしどし下種をするんだ」

 広島で戦災に遭(あ)い、結婚を機に渡米した創価の母は、夫の猛反対にも負けず、信心を貫(つらぬ)き、仏法対話に挑(いど)んだ。経済苦や家庭不和と格闘(かくとう)しながら、
一人一人に「この人に会うために、私はここに来たのだ」と真心を尽くした。今、ご一家も、折伏した400世帯に迫る眷属(けんぞく)も功徳に満ちて、後継の青年たちが続く。
 「信心の喜びを語りたくて仕方ないの。人を見たら折伏したいわ」と、母は明るく美しく微笑(ほほえ)む。

 日々、勤行で読誦(どくじゅ)する自我掲(じがげ」)には、「賓樹多華果衆生所遊楽(ほうじゅたけかしゅじょうしょゆうらく)<宝樹は花菓(けか)多くして 衆生の遊楽する所なり>」とある。私たちの広宣流布は、たゆまず妙法の種を蒔(ま)き、人材の宝樹(ほうじゅ)を育(そだ)てて、生きる喜びに躍動する平和と共生の緑野(りょくや)を、この地球上に創り広げていく戦いであるといってよい。

 ブラジルの詩心の母コラ・コラリーナは詠(うた)った。
 「待(ま)つならば、今日、生命の大地に植え込んだ良き種の収穫(しゅうかく)を待ちましょう! 植えるならば、幾百万の笑顔とスクラムと友愛(ゆうあい)を植(う)えましょう!」

 さあ、「世界広布新時代」の「躍進(やくしん)」そして「拡大(かくだい)」ヘー。皆で朗(ほが)らかに励まし合い、一日一日、勇敢(ゆうかん)に希望の種を、勝利の種を蒔きゆこう!

9月号

大白蓮華 2015年(平成27年)9月号(No.791)

「初心」を貫く人は勝利者なり

創価学会名誉会長  池田大作

 日蓮大聖人は、「地涌千界(じゆせんがい)の菩薩・虚空(こくう)に星の如(ごと)く列(つらな)り給(たま)いて」(1350ページ)と仰せになられた。

 今まさに、きら星の如く、世界中で、新入会の友が誕生し、未来を担(にな)う若人が成長してくれている。
 一日また一日、世界広宣流布のフレッシュな人材の拡大を見つめることは、私の何よりの喜びである。
 みずみずしい初心の若き同志と共々に、先輩方もまた求道の心新たに「行学の二道」に励んでいく。ここに、創価家族の前進はいよいよ勢いを増すのだ。

 平和の信念の大科学者ロートブラット博士は、「私たち一人ひとりには、ものごとを変える力があります」と語られた。その力を青年から引き出し、自らも一緒に発揮(はっき)することに精魂(せいこう)を注がれたのである。

 法華経に登場する不軽菩薩(ふきょうぼさつ)は「初随喜(しょずいき)の行者(ぎょうじや)」(1277ページ)とされる。「初随喜」とは、師である仏の教えを信受(しんじゅ)し、歓喜して修行に励(はげ)む最初の位である。

 師の「万人成仏」の教えを抱きしめ、不軽菩薩は出会う人々の仏性を敬(うやま)い、対話を続ける。増上慢(ぞうじょうまん)の勢力から、どんなに迫害されようとも、師匠と同じ大使命に生きゆく歓喜の初心を貫き通していった。ゆえに、断じて負けなかった。

 信心は、年数や役職で決まるのではない。慢心(まんしん)を起こし、惰性(だせい)に流されてしまえば、歓喜は失われる。
「心こそ大切なれ」(1192ページ)である。初心を忘れず、基本を大切に、「水のごとく」「いつも・たいせず信ずる」(1544ページ)人こそが、偉いのである。


 さあ今日も
  元初の出発
    さわやかに
  此の世の本懐
   喜び果たさむ

 懐(なつ)かしき岐阜(ぎふ)の多宝の友は、修利槃特(すりはんどく)という物覚(ものおぼ)えの苦手な弟子が、仏の言葉を一心に修行して大境涯を開いた説話(せつわ)に感動し、発心した。悪侶の撹乱(かくらん)にも悔(くや)し涙で立ち向かい、支部長として「必ず日本一の仏国土に!」と誓い、勇敢(ゆうかん)に人材域を築いてきた。
 先立たれた御子息と約束した個人会館も完成させ、後継の人材を、わが子のように励まし育てる。
 「地域の一人ひとりはもちろん、会合で顔を見ない友のことほど真剣に祈ります。祈っているから、どんな人も仏であり、使命があるとわかります」と。

 尊き父母たちが命懸(いのちが)けで創り上げてくれた仏の世界こそ、創価学会である。この絆(きずな)に連なる宿縁(しゅくえん)を思えば、歓喜は尽きることなく湧(わ)いてくるではないか。
 苦しい時こそ、同志と題目を唱えて、語(かた)らえば、命の底から蘇生(そせい)できる。これが創価のリズムだ。

 我らには、果たすべき誓願がある。勝つべき闘争(とうそう)がある。その成就(じょうじゅ)の力を具(そな)えて、生まれてきたのだ。

 朝な夕なの勤行は、久還元初(くおんがんじょ)の大生命に立ち返り、三世十方(さんぜじゅっぽう)の仏菩薩(ぶつぼさつ)や諸天善神(しょてんぜんじん)に包(つつ)まれながら、生まれ変わった息吹(いぶき)で出発する大歓喜の会座(えざ)である。

 「私たちは地涌の菩薩だ。皆、多くの眷属(けんぞく)を連れて今世に出現している。広宣流布に本気で戦えば、その巻属たちが現れて、一緒に戦うようになる!」とは、わが師・戸田城聖先生の確信であった。

 さあ、新しい人材を見出し、共に祈り、共に進もう! 全員が「初心」を貫(つらぬ)き通す勝利者として!


8月号

大白蓮華 2015年(平成27年)8月号(No.789)

「行学」は幸福常勝の翼なり

創価学会名誉会長  池田大作

 わが地区は、何と偉大な哲学者の集いであろうか。どんな試練にも、たじろがない信念の哲人がいる。どんな悩める友にも、希望を贈る対話の達人がいる。どんな難局にも、活路を開く勇気の賢人がいる。
 御書を根本として、庶民の大地に生命尊厳の大哲学の連帯を広げてきたのが、創価学会である。日々、行学の二道に励む学会活動は、民衆が幸福と平和の智慧を磨(みが)き、現実の社会で価値創造しているのだ。


 アメリカ実践哲学協会の会長であるマリノフ博士は、私との対談で、「仏法は、人間の可能性を活性化し、人生をより良い方向に変革し、そして建設的な環境をもたらす方途を、私が知っているどんな哲学よりも数多く提供してくれます」と語っておられた。


 世には興味本位や悪意と邪見(じゃけん)の文言が渦巻いている、人を誑(たぶら)かし、不幸へ引きずりこむ悪知識は多い。
 その中にあって、御書という最極の明鏡(みょうきょう)に照らせば、常に生命を正視できる。揺るぎなき生命観、人生観、社会観、宇宙観に立って、一切を正しく見晴らしていくことができる。
 信心の利剣(りけん)で悪縁(あくえん)を断ち切り、惑(まよ)いなく常楽我浄(じょうらくがじょう)の正道を進んでいけるのだ。

 御書をひもとくことは、日蓮大聖人の御境涯を、直接、拝することに他ならない。閉ざされた小さなカラを破って、広々とした境涯が開かれる。それは、久遠元初の太陽の如く、御本仏の大生命から放たれる光線を、我らの色心いっぱいに浴びていくことである。

 
大聖人は、ある御返事の結びに、「此(こ)の書は弘通(ぐつう)の志有(こころざしあ)らん人に取っての事なり」(御書1357ページ)と仰せになられた。大聖人が掲げられた広宣流布の誓願に立つ人こそ、御書の真の意義を会得できるのだ。
 
その通り身読してきたのが、牧口常三郎先生、 戸田城聖先生である。そして、我ら創価の師弟である。
 戸田先生は、「絶対なる大聖人の確信と情熱とにふるるとき、信心の火が、いやがうえにも、燃えあがるのを、感ぜざるをえない」と叫ばれた。

 ここに、学会教学の根幹の大精神がある。広布の戦いの中で、御書を声に出して拝読すれば、御金言の師子吼(ししく)が、わが命に強く熱く共鳴し、満々たる仏の力が胸奥(きょうおう)から込み上げてくるではないか。世界の地湧の同志も御書を学び、実践している。

 教学研鑽(けんさん)を機に、文字を覚えた尊き求道の友もいる、
南米アルゼンチンの青年部リーダーは語る。
「運命や環境に翻弄(ほんろう)される現実を 『自分の手で変革できる』 との仏法の教えは、若者に強い感銘を与えずにはおきません」「自身の人間革命を通して、国土の宿命転換を担うのが、我ら青年の使命です」


 大仏法を共に探究(たんきゅう)する青年の連帯には、あらゆる差異を超えて、世界を結ぶ平和創出の力がある。
 「行学の二道」こそ、全人類の心を限りなく高く飛翔(ひしょう)させゆく幸福常勝の翼である。

 さあ今日も、御聖訓の一節を心に刻み、行学の翼を広げながら、朗らかに勝利の大空へ舞いゆこう!
 妙法は
  不幸を断ち切る
   宝剣(つるぎ)なり
  正義の極理
    学び 掲げよ

7月号

大白蓮華 2015年(平成27年)7月号(No.788)

常楽我浄のスクラム明るく!

創価学会名誉会長  池田大作

 大いなる人生には、必ず、大いなる試練が立ちはだかる。大いなる試練に立ち向かうからこそ、大いなる境涯が開かれていくことを忘れまい。
 妙法の信仰とは、その究極の希望の力である。
「法華経研究の母」と謳(うた)われるロシアのヴォロビヨヴァ博士は語られている。
「人生がどんな困難や苦しみを人間に与えようとも、法華経の教えに従っていくならば、恐怖なく、堂々と乗り越えていけるのです」と。


 時代は空前の少子高齢社会に入り、これまで以上に「生老病死」の苦悩がクローズアップされている。
 それを根本的に打開しゆく「常楽我浄」の智慧を、私たちはいよいよ力を合わせて発揮していきたい。
 みな、生身の体だ。自分自身や家族が、思いもよらない病や、厳しい老いの現実に直面する時もある。

 しかし日蓮大聖人は、門下の病気を「我身(わがみ)一身の上(うえ)とをもひ」(御書978ページ)、平癒を祈ってくださった。法華経の「閻浮提(えんぶだい)の人の病の良薬なり」(同985ページ)との経文を通されて、励ましてもおられる。

 この御本仏のお心に則(のっと)り、我らは最極の良薬たる題目を唱え、互いに支え合い、守り合っていくのだ。

 御文には「一日の命は三千界の財(たから)にもすぎて候なり」「而(しか)して法華経にあわせ給いぬ一日もい(活)きてをはせば功徳つもるべし」(同986ページ)とも仰せである。

 病は病のまま、老いは老いの姿で、妙法と共に、同志と共に生き切る一日に、無量の福徳があるのだ。
 
先師・牧口常三郎先生は、目が不自由だった養母を介護されていた。先生が自ら背負ってお風呂場へ連れて行き、入浴の手伝いもされたという。
 この人間愛の深さと、いかなる迫害にも屈しない師子王の強さとを、創立の父は併(あわ)せ持たれていた。
 病気や高齢の家族を抱きかかえながら、広宣流布へと打って出る行動がいかに尊いか。その労苦は、わが家みんなの「心の財(たから)」と積まれ、その慈愛のチームワークは、地域の希望のモデルと光る。
 
 四国の多宝の母は、母と姑(しゅうとめ)の介護に献身してきた。悪侶の迫害、自らの闘病、親孝行な子息との死別などが相次ぐなか、夫妻で「毎日、一歩でも一ミリでも進もう」と決めて、学会活動を貫き通してきた。
 今、勝利の母は「全部、妙法の力を示すための苦難だったと感謝の涙が出ます。苦労した分、どんな人にも信心を伝え、幸せになってほしい」と微笑む。
「生命の世紀」を開拓するドクター部の同志も、慈悲の看護を体現する「白樺」の友も、介護や福祉に新風を送る妙護グループの若人も、誠に頼もしい。

 ヴォロビヨヴァ博士は、「法華経寿量品」の結びの「毎自作是念(まいじさぜねん)」から「速成就仏身(そくじょうじゅぶっしん)」までの経文は、「どうすれば民衆を成仏させることができるのか」との仏の問いかけであると強調されている。
 我ら創価家族は、今日も、この問いに、生命力を満々と、広布に生き抜く姿で答えていきたい。生死(しょうじ)を超えて結ばれた「常楽我浄」のスクラム明るく!
 慧光照(えこうしょう)
  寿命無数(むしゅ)の
   生命(いのち)なば
  今日も無量の
    功徳 積みゆけ

6月号

青年よ、不退の根を張れ!
創価学会名誉会長  池田大作

 青年の勇気は無敵だ。それは何も恐(おそれ)れない。
 青年の勇気は無限だ。それは決して諦(あきら)めない。
 「人生とは闘争(とうそう)であり、立ち向かう勇気を示すべき場である」と、アメリカ・ルネサンスの詩人ソローは快活(かいかつ)に叫(さけ)んだ。

 若者が新たな挑戦の勇気を持てない社会であれば、停滞(ていたい)し衰退(すいたい)する。自ら率先(そっせん)して挑(いど)み、後継の友を勇気づけていく。これがリーダーの責任てあろう。
 法華経には、地涌の菩薩は「其(そ)の心に畏(おそ)るる所無く忍辱(にんにく)の心は決定(けつじょう)し」(法華経472ページ)と説かれる。
 この地涌の心を、広布の父母から受け継ぎながら、わが創価の青年は、人間革命と広宣流布のチャレンジを繰り広げてくれている。何と頼もしいことか。
 正しき信仰とは、人間を限りなく強く、賢(かしこ)く、朗(ほがら)らかにする大勇(だいゆう)である。

 日蓮大聖人は、圧迫の中、戦う青年・南条時光へ、「どのようなことがあっても、嘆(なげ)いてはならない。きっぱりと思い切って、自分の思いと違うことが起こったならば、いよいよ、これこそ悦(よろこ)びと言い切っていきなさい」(1542ページ、趣意)と打ち込まれている。

 誰しも、「こんなに頑張っているのに、なぜ自分だけが」といった無念にかられる時がある。実は、その時こそ、大きく境涯を開くチャンスなのである。

 1人で悩まず、良き先輩に相談することだ。御書を拝し、題目を唱え、青年らしく思い切ってぶつかっていくのだ。打開できない壁など、絶対にない。
 
 わが師・戸田城聖先生の青年への励ましが蘇(よみがえ)る。
 「信心に、学歴や財産など関係ない。宇宙を変化させる南無妙法蓮華経という根源の力が、自分の生命にある。その力を開き現し、すべてを望む方向へと変え、開花させていけるんだよ」と。

 座談会には、尊(とうと)い体験を通して、「絶対に大丈夫!」「自分も変われる。現実も変えられる」等と語ってくれる先輩たちの大確信の笑顔が光っている。

 創価家族が築き上げてきた、民衆の、民衆による、民衆のための、励ましの世界こそ、青年を支え守り、仲ばす希望の大地だ。抜苦与楽(ばっくよらく)の慈悲(じひ)に満ちた、この心の安全地帯に、さらに青年を糾合(きゅうごう)していきたい。
 そこに、国土・社会の蘇生(そせい)の活力も漲(みなぎ)るからだ。

 5月3日を祝賀して、韓国では、2万人の青年が躍動する見事な平和フェスティバルが挙行(すいこう)された。
 その陰で、壮年部のアボジ(父)たち、婦人部のオモニ(母)たちが、新入会の友をはじめ青年部・未来部のメンバーを、わが子の如く1人ひとり大切に激励し、応援してくださったことを、私は忘れない。

 御聖訓には、「我等衆生(われらしゅじょう)・法華経を信じ奉(たてまつ)るは根をつけたるが如し」(827ページ)と仰せである。
 「因果倶時(いんがぐじ)」の妙法を行ずることは、たとえ結果が目に見えないようであっても、日々、幸福の根、功徳の根、勝利の根を揺るぎなく張(は)っているのだ。
 「じっとこらえて今に見よ」。これが学会精神だ。
若き地涌の友よ、たくましく天を突く大樹と育て!

 乱世(らん)で
   揺(ゆ)るがぬ誓(ちか)いの
     君(きみ)なれば
   巌(げん)と根を張(は)れ


5月号

後継の光の君よ、学び勝て!
創価学会名誉会長  池田大作

「人」を育て、未来へ伸ばそう!
「人材」をつくり、社会へ送り出そう!
 無窮(むきょう)の光は、「人づくり」から生まれる。
「若き心は豊かな大地である。時に適(かな)っていれば、一言の種であっても、わずかのうちに、永遠なる果実を育む」。これは、ウルグアイの文豪ホセ・エンリケ・ロドの言葉である。

 青春の心の大地に、時に適った真心の励ましを送り、希望の種、向学の種、勇気の種を蒔(ま)いて、幸福勝利の果実を育(はぐく)むのが、我ら創価の未来部育成だ。
「声仏事(こえぶつじ)を為(な)す」(御書708ページ)である。令法久住(りょうぼうくじゅう)の伝持の人にかけゆく激励の一声また一声は、まさしく「仏の仕事」を為す最極の力といってよい。

 日蓮大聖人は、門下の家庭に新しい命が誕生したことを聞かれると、法難の佐渡より、「現世には跡(あと)をつぐべき孝子(こうし)なり後生(ごしょう)には又導(またみちび)かれて仏にならせ給うべし」(同1123ページ)と寿(ことほ)がれた。
 わが未来部は、世界広宣流布の誓願を果たすため、今この時に躍(おど)り出てくれた、かけがえのない御本仏の仏子である。どれほど宿福深厚(しゅくふくじんこう)の1人1人か。
 濁世(じょくせ)なるがゆえに思わぬ試練もあろう。しかし、大聖人は幼子(おさなご)の病の報告に仰せになられている。
「わざはひ(禍)も転じて幸(さいわい)となるべし、あひかまへて御信心を出(いだ)し此(こ)の御本尊に祈念せしめ給へ、何事か成就せざるべき」(同1124ページ)と。いざという時の勇気ある信心が、一家の永遠の大福運を勝ち開くのだ。
 第3代会長に就任して、私が最初に結成したのも未来部である。手作りで薫陶(くんとう)を開始した鳳雛(ほうすう)たちと、私は「佐渡御書」の一節を深く強く拝した。
 それは、「師子王の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし」(同957ページ)との仰せである。
 無名無冠の父母(ちちはは)たちが、私と共に「師子王の心」を取り出(いだ)して、いかなる苦難も恐れず、築き上げてきた異体同心の大城こそ、正義の創価学会だ。
 ゆえに、わが後継の未来部に託すべき学会精神の第一は、「師子王の心」である。
 未来本部、教育本部をはじめ、人材を育てる真の人材の力をいよいよ結集して、高等部・中等部・少年少女部の友を激励していきたい。

 私が見守ってきた大阪のドクター部のリーダーは、小学生の時に母を病で亡くした。祖母から信心を教わり、未来部の会合で、自分に自信を持ち、人に尽くす「生命尊厳」の仏法の生き方を学び、胸を弾(はず)ませた。
「学び抜いて勝つ」と努力を貫き医学者となった彼は、感謝と報恩の心に燃えて、渾身(こんしん)の力で活躍する。

 無量の光明(こうみょう)を放って涌出(ゆじゅつ)する地涌の菩薩さながらに、「従藍而青(じゅうらんにしょう)」の若人が喜び舞いながら登場する「世界広布新時代」は、今まさに到来した。
 愛する後継の光の君よ、君たちよ! 世界第一の創価の人材のスクラムで、伸び伸びと学び、鍛(きた)えてくれ給え! そして、世界の友と手を携(たずさ)え、新たな地球社会の希望の暁鐘(ぎょうしょう)を打ち鳴らしてくれ給え!
 健やかに
  創価の後継
    天高く
  学び光れや
    勝利の王者と

4月号

創価桜の道ひらけ!
                             創価学会名誉会長 池田 大作 
 毎日毎朝、私の心に響いてくる足音がある。
 それは、日本列島のあの道この道で、聖教新聞の配達の歩みを進めてくださっている、尊き「無冠の友」の足音である。
 その一歩一歩が、友に今日一日の前進の力を贈り、無量無辺の「心の財」を積み、広げているのだ。
 日蓮大聖人は、日女御前を励まされた。
 「大空には鳥の飛ぶ跡がある。人間には見えない。大海には魚の道がある。人間には見えない」
 「同じように、あなた日女御前の御身の内には、『宝塔品』が厳然とあるのである。凡夫には見えなくとも、釈迦仏・多宝如来・全宇宙の諸仏は御覧になっている」(1250㌻)と。
 たとえ誰が見ていなくとも、御本仏が厳然と御照覧くださっている「生命の道」がある。これこそ、自他共に生命の「宝塔」を輝き光らせていく、自行化他の仏道修行の「道」なのである。
 この娑婆世界には、御書に「冥きより冥きに入る」(560㌻)と喝破されているように、悪縁に引きずられて深い闇から闇へ彷徨う不幸が、あまりに多い。
 その悪道の流転を押し止めて、生きる喜びの道へ、希望の光の道へ、共に進みゆく哲理が、妙法である。
 ここに、「一生成仏」を勝ち開きゆく直道がある。また、「父母を扶くる道」(223㌻)という真実の孝養の道もある。そして万人を、これ以上ない幸福の境涯へとリードしていける「無上道」があるのだ。
  
   師弟して
    誓いの道を
      晴ればれと
    創価桜の
      満開勝利で

 現実の道には、荊も生い茂る。壁も立ちはだかる。出口の見えない、長いトンネルのような道もある。
 しかし、古代ローマの哲人セネカは、「ごつごつした道こそ、崇高の頂に達する道です」と言った。
 題目は、険難の坂も勇敢に上りゆくエンジンだ。
 知多半島の多宝の父母は、伊勢湾台風の被災にも、悪意や偏見にも、不退の心で、「我等の決めた」この道を切り開いてきた。同志と共に、走り、語り、愛する郷土の三変土田のため、今も戦い続ける。
 「悪口されると、余計に『よし、勝つぞ!』と燃えました。今、すべてが仏縁と信頼の道に変わりました。学会は、人を救う地涌の菩薩の団体です。友に会えば、すぐに歓喜の対話の道が広がります」と。
 苦難の中を、もがき、苦しみながらも、法のため、人のため、社会のため、前へ踏み出した一足一足は、黄金の即席となって、決して消えない。あとに続く人々に、限りない希望の道標と輝いていくのだ。
 わが師・戸田城聖先生は叫ばれた。
 「山道を大きな石がふさいで前に進めない。しかし、どうしても行かなくてはいけない。どうするか、その時こそ、『勇気』を奮い起こし、『智慧』を発揮していくところに、信心の本当の深さがある」と。
 我らは、広宣流布の正道、立正安国の開くことを願って生まれてきた。
 「新たな友よ、集い来れ!」と声をかけながら、今日も強く朗らかに、創価桜のこの道を征劫!

3月号

「喜悦はかりなし」の信心の炎を

 モンゴルの大詩人であり、共に「友情の大草原」を広げてきた、ツェデブ博士は高らかに謳った。

 「心に火を持つことほど、爽快にして健康なものはない/胸に炎を持つことほど、顔を輝かせるものはない」と。

 この心の火が失われ、胸の炎が消えてしまえば、人の世は凍え、時代は闇に覆われてしまう。

 日蓮仏法は、万人の胸奥に「仏性」という最極の生命の炎を灯しゆく太陽の法理である。

 我ら創価家族は、正法の聖なる火を、あの町でも、この街でも、一人一人の心に点火してきた。

 その人間主義の熱は民衆の心を励まし温め、その生命尊厳の光は地域・社会を明るく照らしている。

 御義口伝には、「今 日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは生死の闇を照し晴して涅槃の智火明了(ちかみょうりょう)なり」「煩悩の薪を焼いて菩提の慧火現前するなり」(御書p710)と仰せである。

 妙法の智慧こそが、生老病死という苦悩の闇を打ち破る大光であり、いかなる悩みも難題も前進の力へ転換しゆくエネルギーなのである。

 ゆえに、自行化他の題目を唱え、この究極の智慧の炎を燃え上がらせるならば、自分自身の命が変わる。宿命も変えられる。どんな人も、どんな国土も、必ず必ず変えていけるのだ。

 その希望のドラマを示していくのが、我らの「人間革命」の挑戦であり、「立正安国」の連帯である。

たくましく
 広布に生き抜く
  一念に
勇気よ 歓喜よ
 炎と輝け

 懐かしき北海道の草創のご夫妻は、大雪の猛威も、言うに言われぬ旧習の圧迫も、大病も、すべて撥ね返して、実証を示し、仏縁を広げ抜いてこられた。

 「悪口のおかげで強くなれました。臆せば、何も変わらない。大確信の対話は必ず通じます。相手の変わる姿から、信心のすごさを学びました。地涌の菩薩の命を燃やし続けて、地域に盤石な楽土を築いていきたい」。そう語る笑顔皺が、あまりに神々しい。

 こうした多宝の先輩たちの尊き学会精神の炎を、わが後継の青年部は、広宣流布の実践の中で、たくましく受け継いでくれている。創価の若人の大情熱こそが、同世代の冷めた友の心をも熱く揺さぶり、蘇らせていく陽光なりと、私は確信してやまない。

 日蓮大聖人は、命に及ぶ佐渡流罪の大難の中で、悠然と「流人なれども喜悦はかりなし」(御書p1360)と言い放たれた。

 この御本仏に直結して、命の奥底に灯した我らの誓いの火は、断じて消えない。試練の烈風が拭き荒ぶほどに、いよいよ燃え盛るのだ。

 わが師・戸田城聖先生は叫ばれた。

 「いろんな悩みや人の中に飛び込んで、もみくちゃになって戦ってこそ、自分が変わり、周囲も変えていける。その喜びをつかむための悩みであるんだよ。我らは勇敢に濁世を救おうではないか!」と。

 さあ、共々に「喜悦はかりなし」と、信心の炎を燃やし、わが使命の国土を赫々と照らしゆこう!







2月号 

大白蓮華 2015年(平成27年)2月号(No.783)

巻頭言
「我此土安穏」の地域づくりを!

創価学会名誉会長  池田大作

 わが家には、朝な夕な清々(すがすが)しい勤行の響(ひび)きがある。それが、どれほど躍動する幸福のリズムであるか。

 御書には、「家に讃教(さんきょう)の勤(つと)めあれば七難必ず退散(たんさん)せん」(1374ページ)と伝教大師の文を引かれている。

 勤行は、大宇宙の究極(きゅうきょく)の法則たる妙法に合致して、生きる喜びを謳(うた)い上げていく生命の讃歌(さんか)である。

 自我(じがげ)には「我此土安穏(がしどあんのん)」、即(すなわ)ち「衆生は劫尽(こうつ)きて大火に焼かるると見る時も我が此の土は安穏にして天人は常(つね)に充満(じゅうまん)せり」(法華経491 ページ)と説かれる。

 どんな濁世(じよくせ)にも、我らは勤行の会座(えざ)から出発する。
 そして三世十方(さんぜじっぽう)の仏天(ぶってん)を揺(ゆ)り動かし、いかなる災難(さいなん)も不幸も打ち払いながら、自らの使命の天地から「我此土安穏(がしどあんのん)」の世界を創(つく)り開いていくのだ。

 日蓮大聖人は、「法妙なるが故(ゆえ)に人貴(にんとうとう)し・人貴きが故(ゆえ)に所尊(ところとうと)し」(1578ページ)と仰せになられた。
 妙法を信受(しんじゅ)して行動する人こそ、貴き仏の生命を、自他共(じたとも)に限りなく輝かせてゆける「宝の人」である。

「宝の人」のいるところ、互いに尊敬(そんけい)し、支え合う「宝の絆(きずな)」が結ばれる。
 その連帯から、何ものにも壊(こわ)されない立正安国(りっしようあんこく)の「宝土」が広がりゆくのだ。

 いずこにも、経文通りの「悪口罵詈(あっくめり)」を堪(た)え忍(しの)び、血の滲(にじ)む努力を重ね、地域の信頼を勝ち取ってきた無名にして尊貴(そんき)な父母の勝利劇が刻(きざ)まれている。

 忘れ得ぬ熊本県天草(あまくさ)の功労の母は、村八分の圧迫(あっぱく)にも、邪宗門(じゃしゅうもん)の迫害(はくがい)にも屈(くっ)せず、また台風の被災など越すに越されぬ試練(しれん)の坂を勝ち越えてこられた。


  今生の
   楽しき思い出
     今日もまた
   縁(えにし)の地域を
      広布の宝土へ


「大好きな郷土から不幸を断ち、皆を幸福にしたい。
 このために生まれてきた地涌の菩薩が私です。
 この私の誓願(せいがん)の人生を見なっせ! 負けんばい! 反発する人たちも、私の信心を鼓舞(こぶ)してくれていると思うと感謝が湧(わ)き、救わずにおれんとです」と、今も新たな対話に挑戦を続ける。この宝の心を、お子さん方も、地域の青年たちも受け継いでいる。

 16年前、台湾はマグニチュード7・6 の大地震に見舞われた。救援活動に献身(けんしん)するSGI (創価学会インタナショナル)の同志に、私は祈りを込めて「我此土安穏天人常充満(がしどあんのんてんにんじようじゅうまん)」と認(したた)め、お贈りした。
 わが友が不屈(ふくつ)の闘魂(とうこん)と団結で、この苦難を変毒為薬(へんどくいやく)し復興(ふっこう)に貢献(こうけん)してこられた歴史を、私は忘れない。

 思えば、敗戦(はいせん)の焼け野原に、戸田城聖先生が一人立たれて、人類の生存を脅(おど)かす魔性(ましょう)への戦いを開始されてより70年――。今や、民衆の平和と幸福のネットワークは、揺るぎなく地球を包(つつ)んでいる。

 恩師は、広布の拡大に励む友に呼びかけられた。
「誰に対しても、一念三千で大誠実でいこう! 一念三千であるゆえに、わが一念に仏性(ぶっしょう)を現(あらわ)していけば、相手の境涯(きょうがい)も必ず変わっていく。 自分が動き、語った分、地域を安穏(あんのん)の楽土(らくど)に変えていけるんよ!」

 何より心強いことは、我らには日本中、世界中に「異体同心(いたいどうしん)」の同志がいる。
「従藍而青(じゅうらんにしよう)」の人材が続いている。共々に励まし、共に祈り、守り合って、今年も「我此土安穏(がしどあんのん)」の地域づくりに勇(いさ)んで挑(いど)もう!


1月号 

大白蓮華 2015年(平成27年)1月号(No.782)
巻頭言
「題目の師子吼に恐れなし」
創価学会名誉会長 池田 大作

 新たな一年を、生まれ変わったように新鮮な生命でスタートしたい。そして、新たな一日また一日を、元旦のように清新(せいしん)な息吹(いぶき)で前進し続けていきたい。これは、万人の願望であろう。
 「毎日毎日が、両手に余るほどの可能性を引きつれて私のもとを訪れます」と微笑んだのは、障害に負けず、社会貢献を貫いたヘレン・ケラーである。
 宿福深厚(しゅくふくじんこう)にも妙法を受持した私たちは、来る年も、来る朝も、題目の音声とともに、久遠元初の太陽を昇らせ、わが生命を蘇(よみがえ)らせていくことができる。

 御書に「妙とは蘇生(そせい)の義(ぎ)なり蘇生と申すはよみがへる義なり」(947ページ)と仰せの通り、唱題行こそ究極の若さと、無限の活力の源泉なのである。
 地涌の菩薩たる我らの題目は、誓願の祈りである。いわゆる何かに弱々しくすがる願いなどではない。自ら誓いを立て、その成就へ一念を定め、大宇宙の根本法則に合致し、全生命で轟(とどろ)かせゆく師子吼(ししく)なのである。これほど強く、これほど荘厳な力はない。

 わが師・戸田城聖先生は、よく言われた。
 「日蓮大聖人と共に、妙法広布を誓い、戦う人の祈りは必ず叶っていく。三障四魔よ、何するものぞとの大確信で祈り切れ」と。さらにまた、「一人の強盛の信心の祈りに、皆がついてくる。皆が最後は幸福になれるんだよ」とも教えてくださった。
 ゆえに、何があっても、まず題目だ。
 題目の人は、断じて行き詰まらない。

 大聖人は、病と闘ってきた門下を励まされて、「法華経と申す御経は身心の諸病の良薬なり(1015ページ)と仰せになられている。そして、法華経に説かれた、「病即(やまいすなわち)消滅(しょうめつ)して不老不死(ふろうふし)ならん」、また「現世は安穏にして後生には善処(ぜんしょ)ならん」、さらに「諸余怨敵(しょよおんてい)皆悉(みなことごと)く催滅(さいめつ)せん」との経文を送られた。
 自行化他(じぎょうけた)にわたって、妙法を実践しゆく我が生命は、大聖人の御生命と一体不二である。
 朗々たる題目で、病魔を乗り越え、「健康長寿」を勝ち開いていくのだ。どんな宿命も使命に転じて、自他共に、永遠の大幸福境涯を築いていくのだ。
 正義の仏天を揺り動かしながら、いかなる強敵(ごうてき)も打ち破り、「絶対勝利」の実証を現していくのだ。

 雪深き青森で、40年以上も、聖教新聞を配達されてきた功労の母がおられる。かつては村八分にも遭った。しかし百の圧迫には、百以上の智慧と力で勝つと決めて、断じて屈しなかった。今、「わが地域は日本一」と胸を張りながら、語られる。
 「題目は何でも生み出せる力です。祈れば、幸福になってほしいと、自分自身の仏性から言葉が出て、相手の仏性に届きます。新しい同志をつくり、友好を広げることが、何よりの生きがいです」と。
 あまりに尊き創価の法友の希望と勇気の唱題が、地域社会も地球社会も包みゆく時代に入った。
 さあ、躍進の一年、師弟の誓願に生きる我らは、題目の師子吼(ししく)も誇らかに、勝ち進もうではないか!

 題目の
  師子吼の我らに
     恐れなし
   功徳と勝利を
     無限に開けや



  • 最終更新:2016-03-24 19:19:54

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