巻頭言2018

12月

「皆仏になれ」と功徳満開に!
                                 池田大作

 仏道修行は、峻厳(しゅんげん)なる「冥(みょう)の照覧(しょうらん)」に包まれている。
 ゆえに信心の世界の苦労だけは、一切合切(いっさいがっさい)、無駄(むだ)がない。
 御聖訓には、「雨ふり・かぜふき・人のせいするにこそ心ざしはあらわれ候へ」(1548ページ)と示されている。
 自然災害が打ち続いた今年も、わが同志は、まさに雨にも風にも負けぬ「心ざし」で広布に走り抜いてくれた。
 御本仏・日蓮大聖人の御賞讚(ごしょうさん)はいかばかりであろうか。

「極楽(ごくらく)百年の修行は穢土(えど)の一日の功徳に及ばず」(329 ページ)との一節に照らし、我らは一年一年、極楽の百千万年分もの功徳を積みゆく大闘争の年輪(ねんりん)を刻(きざ)んでいるのだ。
 一人一人の奮闘と陰の労苦を労い、新年へ出発しょう!
「ほむれば弥(いよいよ)功徳まさる」(1242ページ)と仰せの通り、 称(たた)え合う真心に、自他共(じたとも)の喜びと力が漲(みなぎ)っていくからだ。

 今や、この希望のネットワークは全地球に広がった。 先駆の夫妻を激励された御書には「国中の諸人(しょにん)・一人・二人・乃至(ないし)千万億の人・題目を唱うるならば存外(ぞんがい)に功徳身にあつまらせ給うべし」(1241ページ)とお約束である。
 座談会での体験談が集った友に波動(はどう)を起こすように、 世界広布が進めば進むほど、その大功徳は、大海の如く、 須弥山(しゅむせん)の如く、創価家族の皆の生命に集まり具(そな)わるのだ。
 だからこそ戸田先生は、「学会と共に生き抜いてごらん。 今の悩みは、必ず全部、功徳に変わる。その人間革命の歓喜で人類の幸福と平和に尽くすんだよ」と励まされた。
  なかなか結果が出なくとも、また、高齢や病気などで 動けなくとも、妙法で結ばれた異体同心の連帯と一緒であれば、永遠に「常楽我浄(じょうらくがじょう)」の軌道(きどう)を上昇(じょうしょう)できるのだ。​


 大聖人は若き南条時光(なんじょうときみつ)に「一切衆生の恩(おん)」を明かされ、 「生生世世(しょうじょうせぜ)に皆恩(みなおん)ある衆生なれば皆仏になれと思ふべきおしなり」(1527ページ)と教えられた。
 新しい一年も、我らは「皆仏になれ」と祈りを込めて、 広宣流布、立正安国の対話に勇(いさ)んで挑(いど)みゆこう!
 楽しく朗(ほが)らかに仏縁(ぶつえん)を結びながら、「悪を減(めっ)し、善(ぜん)を生ずる」功徳の花を満開(まんかい)に咲(さ)き薫ら(かお)せようではないか!


 風雪に
  宝樹と伸びゆく
    君なれば
   功徳と勝利の
     年輪 刻めや​



11月

大歓喜の青春は創価にあり
池田大作

 我らには、紅燃(くれないも)ゆる「求道(きゅうどう)」の青春がある。
 若き釈尊(しゃくそん)は、「生老病死(しょうろうびょうし)」という本源的な苦悩(くのう)の打開(だかい)のために偉大な探求の道を歩み始めた。この仏法の出発の大情熱を、誇りも高く創価の青年は継承(けいしょう)しているのだ。
 我らには、大歓喜の「発見」の青春がある。
 法華経に「衣裏珠(えりじゅ)の譬(たとえ)え」が説かれる。友の貧窮(ひんきゅう)を見かねた親友が、寝ている間に衣(ころも)の裏に最高の宝珠(ほうじゅ)を縫(ぬ)い付けてくれた。それに気づかぬまま、友は流浪(るろう)を続ける。 再会した親友は宝珠のことを教え、友は大歓喜した、と。
  日蓮大聖人は、この譬喩(ひゆ)の深義(しんぎ)を「始(はじ)めて我心本来(わがこころほんらい)の 仏なりと知るを即(すなわ)ち大歓喜と名(なづ)く所謂(いわゆる)南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり」788ページ)と仰せになられた。
 ここにこそ、何ものにも勝(まさ)る喜びの「発見」がある。
 どの青年も、自分自身の中に仏の生命という無上の宝珠を秘(ひ)めている。「この宝珠に目覚(めざ)め給(たま)え!共に磨き、限りなく輝かせようではないか!」と、たゆまず呼び掛け続けてきたのが、創価学会青年部なのである。

 我らには、従藍而青(じゅうらんにしょう)の「挑戦」の青春がある。
 御聖訓には、「法華経はあいのごとし修行のふかきは・いよいよあをきがごとし」(1505ページ)と示されている。
 従藍而青(藍(あい)よりして而(しか)も青(あお)し)とは、勇気の挑戦に他ならない。常に限界を突破(とっぱ)して、人生と社会に新たな価値を創造しゆく勇敢(ゆうかん)な挑戦(ちょうせん)だ。 忙しく苦労も多いが、計(はか)り知(し)れない充実と向上の「人間革命」の劇が広がる。

 我らには、世界を変える「連帯」の青春がある。
恩師に19歳でお会いして走り抜いてきた山本伸一の 広宣流布の「誓願(せいがん)」は、創価班や牙城会、男子部大学校、 白蓮グループはじめ、世界中で地涌(じゆ)の菩薩の宝友が受け継いでくれている。この連帯こそ、21世紀の希望なのだ。
 人類史のいかなる青年も仰(あお)ぎ見つめる、幸福と栄光の青春を、いよいよ旭日(きょくじつ)の勢(いきお)いで勝ち飾ってくれ給え!

 青春の
  人間革命
    光あれ
  試練も使命に
     朗らか王と

10月

今日も「衆生所遊楽」の大合唱
池田 大作

 毎朝、私たちは「勤行(ごんぎょう)」という生命の目覚(めざ)めの賛歌(さんか)を謳(うた)い上げて出発する。その清々しい声は、十方世界に轟(とどろ)き渡り、仏天をも呼び動かしていくのだ。
 日々、読誦(どくじゅ)する法華経寿量品の自我偈(じがげ)には、「衆生所遊楽(しゅじょうしょゆうらく) 諸天撃天鼓(しょうてんぎゃくてんく) 常作妓楽(じょうさっしゅぎがく)」とある。
 戸田先生は、この経文を通して、笑いながら語られた。 — みんな本当は、この人生を楽しみ切るために生まれてきた。楽しむためには、苦しみが塩のようにちょっぴり必要だ。みんなは塩の方が多すぎるんだよ、と。
 そして、どんなに苦悩の渦巻(うずま)く娑婆(しゃば)世界にあろうと、 妙法とともに、「天(てん)の鼓(つづみ)」を撃(う)つ如く希望のリズムを作り、 「妙(たえ)なる名曲」を奏(かな)でるように喜びの、共嗚(きょうめい)を織(お)り成(な)して、「遊楽」のスクラムを広げていくよう励まされたのだ。

 御義口伝(おんぎくでん)に「妙音(みょうおん)とは今日蓮等の類(たぐ)い南無妙法蓮華経と唱え奉る事は末法当今(まっぽうとうこん)の不思議(ふしぎ)の音声(おんじょう)なり、其(そ)の故(ゆえ)は 煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい)生死即涅槃(しょうじそくねはん)の妙音(みょうおん)なり」(774ページ)と説かれる。
 題目の力は広大無辺(こうだいむへん)である。偉大な文化の力用(りきゆう)を体現する妙音菩薩の光明(こうみょう)も、厳然と具(そな)わっている。この妙音を唱え、壮麗(そうれい)な法華経の会座(えざ)さながらに、人間芸術の真髄(しんずい)の価値を創造していくのが、創価学会である。

 広布の大行進は、音楽隊、鼓笛隊、合唱団、また芸術部をはじめ尊(とうと)き宝友(ほうゆう)の奮闘(ふんとう)ありて、何と明るく賑(にぎ)やかであろうか。とりわけ、災害の被災地での「希望の絆(きずな)」コ ンサー卜など、心の福光(ふっこう)のエールを送り続ける大活躍に、 私は胸を熱くする。たゆまぬ信心と努力、そして麗(うるわ)しい団結で、創価芸術の華(はな)を咲かせてくれているではないか。

 文化を尊重(そんちょう)する宗教であってこそ、民衆から愛される。 いかなる差異(さい)も超(こ)えて、世界市民を結ぶことができる。
 庶民の真心で支えてきた民音や東京富士美術館の文化交流も、一段と平和の光彩(こうさい)を放(はな)つ時代に入った。
 誓願(せいがん)を貫(つらぬ)く人生は、それ自体が感動の叙事詩(じょじし)であり、感激の絵巻(えまき)である。今日も、最も誇り高き無冠(むかん)の名優(めいゆう)たちと「衆生所遊楽」の大合唱を謳(うた)い上げようではないか!


 広布劇
  歌あり 舞あり
   名画あり
  悲劇も転じて
    歓喜の凱歌へ​


9月

人間革命の光は座談会から!
池田大作

 わが青春の人間革命の挑戦(ちょうせん)は、座談会から始まった。
 恩師・戸田城聖先生とお会いして、「正しい人生の道」を教えていただいた座談会である。
 以来、いつでも、いずこでも、座談会を起点として、同士と共に、広宣流布の新たな開拓(かいたく)に挑(いど)んできた。
 そして今、世界中の「ザダンカイ」から生まれ広がる人間革命の希望の連鎖(れんさ)に、心を弾(はず)ませる日々である。

 法華経において、釈尊(しゃくそん)は「如我等無異(にょがとうむい)」と宣言された。
全ての衆生(しゅじょう)を等(ひと)しく仏と同じ境涯(きょうがい)に高めたい!と。
 この大願が脈打(みゃくう)つ最極(さいごく)の会座(えざ)こそ、座談会なのである。
 座談会は、まさしく皆が主役だ。集い合った友が一人ももれなく元気で、明るい笑顔で幸福に前進できるようにとの、仏に等しい祈りと励ましに満ちているではないか。

 日蓮大聖人は「大悪大善御書(だいあくだいぜんごしょ)」に仰せになられた。
「各各(おのおの)なにをかなげかせ給うべき、迦葉尊者(かしょうそんじゃ)にあらずとも・まいをも・まいぬべし、舎利弗(しゃりほつ)にあらねども・.立 ってをどりぬべし、上行菩薩(じょうぎょうぼさつ)の大地よりいで給いしには・をどりてこそいで給いしか」(1300ページ)
 この御本仏と「同意」の創価の座談会には、どんな大悪の歎(なげ)きもはね返さずにはおかぬ不屈(ふくつ)の朗(ほが)らかさがある。 共々に元初の誓いに立ち返り、皆が、歓喜踊躍(かんきゆやく)して使命の舞(まい)へ打って出る会座なのだ。ここに事実の上で、学会が仏法の真髄(しんずい)を継承(けいしょう)している証(あか)しもあるといってよい。

 恩師は、「経済苦の菩薩も病気の菩薩も皆、地涌の菩薩だよ。同士と戦い抜けば、試練(しれん)はすべて功徳に変わる。 『勝った!』と言える境涯(きょうがい)になるんだよ」と激励された。

 誰人(だれびと)も人間関係の難(むずか)しさに直面する現代社会にあって、 奇跡(きせき)のような「麗(うるわ)しい和楽(わらく)の集いを創(つく)り出していくのが、 我らの座談会だ。一回一回が実に尊(とうと)い仏道修行である。
 みんなで祈り、自在(じざい)に「随縁真如(ずいえんしんにょ)の智(ち)」を出し合って、 世界一楽しい、わが地域の座談会を目指(めざ)していこう!
「新しい地涌の友よ、来れ!」と確信の声を響(ひぎ)かせながら、共々に人間革命の光を放ちゆこうではないか!

 人類の
 連帯までも
   開きゆく
  創価.の座談は
    平和の道かな

8月

凯歌大道の誉れの人生を!
 池田大作 

 打ち続く苦難に遭(あ)いながら、なぜ、かくも堂々とされているのか? 激闘の日々、戸田先生に尋(たず)ねたことがある。
 先生は、「ぼくだって、夜も眠れぬほど、悩み、考えているよ」と笑いながら、こう答えてくださつた。 「それは、牢獄(ろうごく)のなかで、自分の使命を知ったからだね。生涯を捧(ささ)げて悔(く)いない道を見つけたということだ。
 そうなければ人間は強いぞ。恐れも、不安もなくなる」と。
 法難の獄中で齢(よわい)45にして妙法流布の大使命を覚悟(かくご)されてより、先生はまさしく「巍巍堂堂(ぎぎどうどう)として尊高(そんこう)なり」(2113ページ)という地涌の菩薩の生命で戦い抜かれたのである。

 命に及ぶ大病や災害、倒産など、逆境(ぎゃっきょう)に挑(いど)む壮年に、 先生は盟友(めいゆう)を抱(だ)きかかえる如(ごと)く渾身(こんしん)の励ましを贈った。 いざ肚(はら)を決めれば、我ら丈夫(ますらお)は劇的を力を出せるのだと。

 言(い)うに言われぬ苦労は絶(た)えないが、「煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい)」の 題目があるゆえに、全ては黄金柱(おうごばしら)の円熟(えんじゅく)の輝(かがや)きと変わる。
 日蓮大聖人は、「法華大海の行者(ぎゃじゃ)に諸河(しょが)の水は大難の如(ご)く入れども・かへす事(こと)とがむる事なし、諸河の水入る事なくば大海あるべからず」(1448ページ)と仰せになられた。
 さあ、何でも来い! 創価の壮年は、大海原のように悠然(ゆうぜん)と、広宣流布、立正安国の誓願に生き抜くのだ。

 四条金吾(しじょうきんご)がそうだったように「負けじ魂(たましい)」で仏子(ぶっし)に尽 (つ)くせば、「法華経の兵法」の真髄(しんずい)を発揮できる。誰(だれ)が褒(ほ)めなくとも、師匠に笑顔で報告できれば、それでいいのだ。
 短気な金吾には、女性を大切に、大らかに包容(ほうよう)するの が賢人(けんじん)とも指導されている。世界一の太陽の婦人部から信頼される時、世界一の壮年王者と光ることを忘れまい。

 8月24日は「壮年部の日」。71年前の夏、恩師が19歳の私を導(みちび)いてくださったように、壮年が後継の青年を励まし、育(そだ)てゆく意義も込めさせて頂(いただい)いている。
 また1950年、最悪の苦境(くきょう)に、師が聖教新聞の構想を示された「創刊原点の日」でもある。一番の試練の時に一番の偉大な価値を創造するのが、壮年の本懐(ほんかい)だ。
 この魂(たましい)で、凱歌大道(がいかおうどう)の誉(ほま)れの人生を進もうではないか!

 人間の
  王者の心の
    君(きみ)なれば
   民(たみ)に慕(した)われ
     師弟(してい)の凱歌(がいか)を

7月

我らは「生死不退」の心で!
                             池田大作 

 日蓮大聖人が年配の父母たちを慈(いつく)しまれた御振る舞いを拝するたびに、私の胸は熱くなる。
 子どものいない佐渡の国府入道夫妻(こうにゅうどうふさい)へのお手紙では、「教主釈尊(きゅしゅしゃくそん)は入道殿(にゅうどうどの)と尼御前(あまごぜん)の慈父(じふ)です。日蓮 はまた、あなた方の子です」(1323ページ、通解)と寄(よ)り添(そ)われ、不安を取り除(のぞ)かれている。


 富木常忍(ときじょうにん)の90代の母堂(ぼどう)へは、「全和宙の諸天(しょてん)が、 お母さまの信心の志(こころざし)を知られるでしよう。その功徳は、露(つゆ)を大海に入れ、土を大地に加えるようなものです。生生(しょうじょう)に、失われず、世世(せぜ)に朽(く)ちないでしょう」(9681ページ、趣意)と讃(たた)えておられた。


 こうした仰せは、そのままいとおしい創価の父母たちへのお心であり、お約束であろう。
 わが師・戸田城聖先生は、私が19歳でお会いした座談会の折、悠然と語ってくださった。
 —— 生老病死という根本の悩みを、誰もが打開して必ず正しい人生を送れるのが、日蓮仏法だよ、と。
  この70星霜(せいそう)、先生の指導通り、生死の苦悩に立ち向かい、我ら創価家族は、何と多くの「人間革 命」の勝利の実証を積み広げてきたことか。

「生死一大事血脈抄」には「一仏二仏に非(あら)ず 百仏二百仏に非ず 千仏まで来迎(らいごう)し 手を取り給はん事・歓喜の感涙押(かんるいおさ)え難(がた)し」(1337ページ)と.かれる。
 友へ題目を送り、励ましの手を差し伸べてきた多宝会の方々こそ、生死を超えて千仏の手に抱(だ)かれ、護(まも)られ、歓喜(かんき)と安穏(あんのん)の軌道(きどう)を進みゅけるに違いない。


 当然、生身(なまみ)の色心(しきしん)には、加齢(かれい)による衰(おとえお)えがある。
勿体(もったい)なくも御本仏が、最晩年(さいばんねん)、「この八年の間は、やせる病気といい、齢(よわい)といい、年々に身も心も弱くなってきました」(15831、趣意)と仰せである。 その中で大難を忍(しの)ばれ、一人ひとりを擁護(ようご)し、薫陶(くんとう)され、万年の令法久住(りょうほうくじゅう)を開いてくださったのである。
 ゆえに、自身の病や家族の介護等(かいごとう)にも、「長く信心してきたのに」などと、たじろぐ必要はない。
「このやまひは仏の御はからひか」「病(やまい)ある人仏(ひとほとけ)になる」「病(やまい)によりて道心(どうしん)はをこり候なり」(1480ページ)との御金言のままに、深き意味を見つめつつ、何ものにも屈しない、変毒為薬(へんどくいやく)の大福運と大境涯を 一家眷属(いっかけんぞく)に創り上げていくのだ。これが信心である。

 たとえ、眼(まなこ)・耳(みみ)・鼻(はな)・舌(した)・身(み)・意(い)という「六識(ろくしき)」 の働きが衰弱(すいじゃく)しようとも、広宣流布の闘争(とうそう)で築(きず)いた胸中の「九識心王真如(くしきしんおうしんにょ)の都(みやこ)」は、絶対に崩(くず)れなぃ。
 我らの三世の旅路(たびじ)は、永遠に妙法と一体であり、 大聖人と一体なのである。何の不安があろうか。
 この「信心の血脈(けつみゃく)」は、今は、反発している家族の生命にも必ずや流れ通っていくから、心配はない。

 創価の父・牧口常郎先生は、獄中で殉教(じゅうきょう)された。 いかなる場所で、いかなる臨終(りんじゅう)の姿をとろうと、広布の誓願(せいがん)に生き抜く生命は、「一生成仏」の凱歌(がいか)を 轟(とどろ)かせていけることを教えてくださっている。
 先師(せんし)から託(たく)された「生死不退(しょうじふたい)の心」で、多宝(たほう)の長者(ちょうじゃ)たちと共々に、常楽我浄(じょうらくがじょう)の香風(こうふう)を広げゆこう!


 恐るるな
  生死ともに
   仏なり
  山越え谷越え
    歓喜の凱歌を



6月

我らは「種を蒔く人」なり
                              池田大作 

 我ら創価家族は「種(たね)を蒔(ま)く人」である。
 妙法という、最極(さいごく)の「幸福の種」を、「平和の種」を蒔いて、蒔いて、蒔き広げていくのである。

 御本仏・日蓮大聖人は、「三世十方(さんぜじゅっぽう)の仏は必ず妙法蓮華経の五時(ごじ)を種(たね)として仏になり給(たま)へり」(1072ページ)と仰せになられた。

 我らが唱え、弘めゆく南無妙法蓮華経の題目は、人ももれなく絶対に「仏」になれる種である。
  それは、地球上はもとより、はるか大宇宙にまで 遍満(へんまん)する「仏界」という生命の蓮華(れんげ)の花を、爛漫(らんまん)と咲かせゆける根源の「仏種」なのである。
 泥沼(どろぬま)の如き濁世(じょくせ)に、この種を忍耐強く蒔(ま)き続け、幸と平和の花園を創(つく)るのが、広宣流布といってよい。

 大聖人は、厳(きび)しき現実社会の真っ只中で悪戦苦關(あくせんくとう)する在家の門下を最大に信頼し、激励なされた。
「其(そ)の国の仏法は、貴辺(きへん)にまかせたてまつり候ぞ、仏種(ぶっしゅ)は縁(えん)に従(したが)って起る」(1467ページ)と。
 使命の国土を離れて、仏法はない。
 自(みずか)らが誓願(せいがん)して躍(おど)り出た宿縁の現場を駈(か)けずり回って、悩める友を励まし続けていくリーダーこそ、 地涌(じゆ)の菩薩(ぼさつ)である。
 わが地域の妙法流布を真剣に祈り抜き、積極果敢(せっきょくかかん)に一人一人と会い、智慧(ちえ)を尽(つ)くして社会に貢献(こうけん)する。 この「仏縁」を誠実に、また大胆(だいたん)に結(むす)びゆくことが、信仰している、していないを問わず、人々の心田 (心の大地)へ「仏種」を蒔(ま)くことになるのだ。


 植物の種には、長い長い歳月を耐え抜く力がある。
 戸田先生が第2代会長に就任された1951年 (昭和26年)、大聖人御聖誕の天地・千葉で約1,000年前の遺跡から蓮華の種が発見された。翌年、見事に開花した「大賀(おおが)ハス」である。時を同じくして、アメリカでも数万年を経た蓮華の種が花開いた。
 戸田先生は、まさしく日蓮仏法が大興隆する瑞相(ずいそう)なりと、それはそれは喜ばれたのである。

「一句妙法(いっくみょうほう)に結縁(けちえん)すれば億劫(おくごう)にも失(う)せず」(793ページ)と仰せのように、ひとたび蒔いた「仏種」は永久に失われない。ゆえに仏法を語った相手が、すぐに信心を始めなくとも、落胆(らくたん)する必要などない。おおらかな心で、その種を育(はぐく)んでいけばよいのだ。

 団地部、地域部、農漁光部、勝利島部をはじめ、誠心誠意、地域に献身(けんしん)して、内外を問わず慕(した)われている創価の長者の方々が、いずこにも光っている。
 皆、分厚い偏見(へんけん)や反発(はんぱつ)にも怯(ひる)まず、仏縁(ぶつえん)を結び続けてきた。自分が苦しい時こそ、人を励まし抜いた。 そして、「現在に眼前(がんぜん)の証拠(しょうこ)あらんずる人・此の経を説かん時は信ずる人もありやせん」(1045ページ) との御聖訓のままに、勝利の実証を示してきたのだ。

 きょうも、尊(とうと)き「無冠の友」が聖教新聞を褐(かか)げて、 打ち鳴らしてくれる暁鐘(ぎょうしょう)とともに、地涌の「仏縁」 の拡大は始まる。我らの祈りと行動、対話と振る舞いで、楽しく伸び伸びと「仏種」を蒔きゆこうでは ないか!人類の心田(しんでん)を豊かに耕(たがや)しながら!

  励ましは
   仏縁 広げる
    幸の声
   不退の笑顔で
     勝利の種を

5月

日々、「創価の母の日」であれ!
                                 池田大作 

 雨が降ろうが、風が吹こうが、太陽は必ず昇(のぼ)る。 広宣(こうせん)の太陽たる母たちもまた、決してたゆまない。
「法華経」では、一人のために、たとえ一句でも正法を語れば、それは「如来(にょらい)の事(じ)」、すなわち「仏の仕事」であると明かされている。
「御義口伝(おんぎくでん)」では、この仏の語らいの意義を――
 第一に、「柔和忍辱(にゅうわにんにく)」の衣(ころも)を着て行われる。
 第二に、「不惜身命(ふしゃくしんみょう)」の修行である。
 第三に、「母の子を思うが如くなり」と、明快(めいかい)に示されている。(737ページ)
 御本尊の仰(おお)せ通(どお)りに、聡明(そめい)な忍耐(にんたい)の心と恐(おそ)れなき勇気、そして大いなる母の慈悲(じひ)で妙法を弘(ひろ)め、幸と平和の陽光を放ってきたのが、偉大な婦人部である。

 自(みずか)らも言うに言われぬ苦労を抱(かか)えながら、悩める友に題目を送り、一緒(いっしょ)に勇(いさ)んで乗り越えゆく創価の母たちの心は、「如来の心」そのものである。
 気取(きど)らず飾(かざ)らず、ありのままの笑類で皆を励(はげ)まし続ける創価の母たちの振(ふ)る舞(ま)いは、まぎれもなく 「仏の振る舞い」ではないか。
 婦人部あればこそ、学会家族は明るく温かい。
 婦人部あればこそ、広宣流布は限りなく進む。
 婦人部あればこそ、令法久法(りょうほうくじゅう)は行き詰(づ)まらない。
  我らの元朝(がんちょう)たる5月の3日は「創価学会母の日」 だ。尽きせぬ感謝を捧(ささ)げゆくとともに、仏(ほとけ)に等(ひと)しい母たち女性たちが無量無辺(むりょうむへん)の福徳(ふくとく)に包(つつ)まれるよう、 皆で祈り、広布の誓願(せいがん)を新たにする日なのである。


 日蓮大聖人は、女性の門下たちに繰(く)り返(かえ)し、「常によりあひて御覧(ごらん)あるべく候」(1114ページ)、「同心(どうしん)なれば此の文(ふみ)を二人(ふたり)して人によませて・きこしめせ」 (1324ページ)等と呼び掛けておられた。
 小人数で集まり、仏法を学び、行(ぎょう)じ、仏性(ぶっしょう)を輝(かがや)かせ 合って前進する――。 今、日本中、世界中で花咲く婦人部のグループをはじめ草の根の語らいは、何と深く大聖人のお心に連なった宝(たから)の会座(えざ)であろうか。
「耳にふれぬれば是(これ)を種(たね)として必ず仏になるなり」 (552ページ)と仰せの如(ごと)く、幸福の種が広がるのだ。
 私の妻も、時間を見つけては懇談(こんだん)や小さな会合に飛び込んできた。一人ひとり、さまざまな現実の課題から断(だん)じて逃(に)げずに奮闘(ふんとう)する地涌(じゆ)の宝友(ほうゆう)である。

 戸田先生の御指導を踏まえて、妻が折々に同志と語り合ってきたことがある。断崖絶壁(だんがいぜっぺき)に立って”もう一歩も退(しりぞ)かない”と決めた時から、「宿命」 は「使命」に変わり始めるということである。
 この「人間革命」の朗(ほが)らかな逆転劇(ぎゃくてんげき)を生み出して いく大地が、創価の励(はげ)ましのネットワークだ。誰一人として孤立(こりつ)させない、仲良(なかよ)く賑(にぎ)やかな女性のスクラムこそ、家庭も地域も社会も蘇生(そせい)させゆくオアシスであろう。世界平和の希望の源泉(げんせん)も、ここにある。
「母の恩(おん)の深(ふか)き事 大海(たいかい) 還(かえ)って浅(あさ)し」(1527ページ) 
 けなげな母たちを思えば、大海原(おおうなばら)の如(ごと)く大生命力が湧(わ)いてくる。我らは日々、「創価の母の日」と決めて、太陽と共に今日も元気に前進だ!

 太陽の
  母のスクラム
   不退なリ
  常楽我浄と
    光風かおらせ


4月

御書と進む ! 大聖人と共に !

 御書を開くことは、日蓮大聖人とお会いすることである。大慈大悲(だいじだいひ)の音声(おんじょう)をお聴(き)きすることである。

 御書を拝(はい)すれば、御本仏の偉大なる御振(おんふ)る舞(ま)いを、そのまま仰(あお)ぎ見ることができるのだ。

 御聖訓には、「明(あきら)かなる事・日月(にちがつ)にすぎんや 浄(きよ)き事・蓮華(れんげ)にまさるべきや」「日蓮 又 日月と蓮華との如くなり」(1109ページ)と仰せである。

 自行化他(じぎょうけた)の題目を唱え、行学(ぎょうがく)の二道に励(はげ)む我らは、この大聖人の大生命に真(ま)っ直(す)ぐに境智冥合(きょぅちみょうごう)できる。
      
 ゆえに、一人一人が、勇気と智慧(ちえ)の大光(たいこう)を赫々(かっかく)と放ち、いかなる生老病死(しょうろうびょうし)の闇(やみ)も晴(は)らせぬわけがない、いかなる苦悩(くのう)の泥沼(どろぬま)からも、幸と平和の蓮華(れんげ)を必ずや咲(さ)かせ広げゆけるのだ。


 「兄弟抄」には、「がうじやうに はがみをしてたゆむ心なかれ、例(れい)せば日蓮が平左衛門(へいのさえもん)の尉(じょう)がもとにて・うちふるまい・いゐしがごとく・すこしも・をづる心なかれ」(1084ページ)と示されている。

 「御書根本」の恐(おそ)れなき行動こそ、わが創価学会の永遠の誉(ほま)れである。

 戦時中、邪宗門(じゃしゅうもん)は臆病(おくびょう)にも御書の要文を削除(さくじょ)した。
 御書のままに、弾圧(だんあつ)にも屈(くっ)せず「死身弘法(ししんぐほう)」を貫(つらぬ)き通(とお)されたのは、牧口・戸田両先生であられる。

 そして立宗700年の大佳節(だいかせつ)に、戸田先生が願主(がんしゅ)となって、創価学会版「御書全集(ごしょぜんしゅう)」が発刊(はっかん)された。

 「智者(ちしゃ)に我義(わがぎ)やぶられずば用(もち)いじとなり」(232ページ)との学会精神の根幹(こんかん)が、ここにあるのだ。


 今、全世界で御書が研鑽(けんさん)されている。御書を学び合い、御本仏の広大無辺(こうだいむへん)の御境涯(ごきょうがい)に包(つつ)まれながら、人類の大連帯を強め、高めゆける時代に入った。

 「現代の鳩摩羅什(くまらじゅ)」として、翻訳(ほんやく)・通訳(つうやく)の使命を担(にな)い立ってくださっている方々への感謝(かんしゃ)は尽(つ)きない。
 
 言語を超(こ)え、国を超え、民族を超えて、大聖人の励ましは、何ものにも遮(さえぎ)られずに人々の心へ届き、内(うち)なる仏(ほとけ)の生命(せいめい)を呼(よ)び覚(さ)まさずにはおかないのだ。

 「日蓮が唱(とな)うる所(ところ)の南無妙法蓮華経は末法一万年(まっぽういちまんねん)の衆生(しゅじょう)まで成仏(じょうぶつ)せしむるなり」(720ページ)

 この大誓願(だいせがん)に触(ふ)れれば、我らの心も奮(ふる)い立ち、じっとしてはいられない。
 歓喜踊躍(かんきゆうやく)して「地涌(じゆ)の菩薩」の戦いを起(お)こさずにはいられないではないか。


 大聖人は、即身成仏(そくしんじょうぶつ)について質問してきた女性を、「偏(ひとえ)に只事(ただごと)にあらず、教主釈尊(きゅしゅしゃくそん) 御身(おんみ)に入(はい)り替(かわ)らせ給(たも)うにや」(1262ページ)とまで讃嘆(さんたん)なされていた。

 この御文(ごもん)に照(て)らしても、「教学部任用試験」に挑(いど)み、仏法に入門されゆく尊(とうと)き同志と会友の方々の福徳が、いかばかりか。一緒に学び、応援してくださる先輩方の福徳も、これまた計(はか)り知(し)れない。

 戸田先生は断言(だんげん)なされた。
 「御書の仰(おお)せに立てば、絶対に行(い)き詰(づ)まらない。
 何事(なにごとに)も、どう勝ち開(ひら)けばよいか、わかるんだよ」と。

 一行でも、二行でもよい。きょうも御書を開き、境涯(きょうがい)を開こう! そして大聖人と共に、「一生成仏」と「広宣流布」の大道を進みゆこうではないか!


 人類の
  幸福勝利(こうふくしょうり)の
    宝典(ほうてん)を
   学び語れや
     不退(ふたい)の勇気(ゆうき)で


3月

励ましが奏でる「春の曲」を

池田大作
 「冬は必ず春となる」(1253ページ)

 御本仏・日蓮大聖人が贈ってくださった一言(いちごん)は、人類の心に太陽を昇(のぼ)らせゆく励(はげ)ましである。
 どんなに厳(きび)しい宿命(しゅくめい)の冬にも負けない勇気と、何としても喜(よろこ)びの春を呼ぶ希望の光源が、ここにある。
 この励ましの陽光(ようこう)を、来る日も来る日も、皆の心へ届(とど)けているのが、誉(ほま)れの創価家族である。

 草創期、東北のけなげな女子部の友から、「どうすれば世界広布の役に立てますか?」と真剣(しんけん)な質問を受けたことがある。「そう悩む心それ自体が、仏の心だよ」と讃(たた)えつつ、私は申し上げた。
 「目の前の一人を真心こめて励ますことから、すべては始まる.そこから、必ず道は開ける」と。

 「一人」の生命は、かけがえのない宝塔(ほうとう)である。  
 その一人が、「十界互具(じっかいごぐ)」「百界千如(ひゃっかいせんにょ)」「一念三千(いちねんさんぜん)」の尊極(そんごく)の仏(ほとけ)の当体に他(ほか)ならない。

 ゆえに一人を励ますことは、地域を変え、国土を変え、未来までも変えて、わが師・戸田城聖先生が夢見た「人類の境涯」を高めゆく、最も地道(じみち)にして最(もっと)も着実(ちゃくじつ)な仏の大聖業(だいせいぎょう)なのである。

 御聖訓には、一字一句(いちじいっく)をも之(これ)を聞(き)きし人(ひと)仏(ほとけ)にならざるはなし」(1046ページ)と仰せである。
 この御本仏のお心のまま、一人一人の仏性(ぶっしょう)を信じ抜いて、諦(あきら)めず、退(しりぞ)かず、たゆまずに、わが地区で、わがブロックで、励ましに徹(てっ)し抜(ぬ)いてきたゆえに、今日の世界広布の壮大な広がりがあるのだ。


 いずこの天地にも、創価の励ましの達人がいる。
 一人一人の個人指導、一軒一軒の家庭訪問という仏道修行(ぶつd)をやり切ってきた多宝(たほう)の父母たちは、何という尊貴(そんき)な生命の輝(かがや)きを放(はな)っていることか。
 たとえ、その時は相手(あいて)の心に響(ひび)いていないようでも、あとになって「あの励ましがあったからこそ」と感謝(かんしゃ)されることも、多々あるものだ。

 「人がものを教えるというのは、車が重かったとしても油を塗(ぬ)ることによって回り、船を水に浮(う)かべて行きやすくするように教えるのである」(1574ページ、通解)。この御書に示された人間教育の極意(ごくい)を学びながら、皆がいよいよ心軽(こころかろ)やかに前へ前へ進めるよう、誠実(せいじつ)に祈り、聡明(そうめい)に対話を重(かさ)ねていきたい。

 「自他不二(じたふに)」なるがゆえに、友を励ますことは、自分を励まし、お互(たが)いの仏性を強めることである。
 大聖人は、女性の門下(もんか)を励まされた際(さい)、「日蓮よりも強盛(ごうじょう)の御志(おんこころざし)どもあり」(1126ページ)とまで賛嘆(さんたん)されている。この御振る舞いを拝(はい)し、励ましとは、その人を尊敬(そんけい)し、その人に学ぼうとする一念(いちねん)から出発(しゅっぱつ)すると、私は心に期(き)してきた。
 
 人と人の絆(きずな)が引き裂(さ)かれる「闘評言訟(とうじょうごんしょう)」の悪世(あくせ)にあって、奇跡(きせき)の如く、あらゆる差異(さい)を超えて、幸(さち)と平和の大連帯を広げゆくのが、創価の励ましである。
 今この時に躍(おど)り出てくれた不思議な地涌(じゅ)の若人たちを、いやまして励まし、歓喜(かんき)と栄光の「春の曲」を明るく賑(にぎな)やかに奏(かな)でゆこうではないか!


 今日もまた
  万の力を
    贈りゆけ
  励まし王者は
    声も惜しまず

2月 創価の「挑戦王」は朗らかなり

 日蓮仏法は、「挑戦(ちょうせん)」の宗教である。
 妙法とともに、月月(つきづき)・日日(ひび)に蘇生(そせい)した生命力で、たゆまず新(あら)たな価値(かち)を創造(そうぞう)する挑戦(ちょうせん)だ。

 御書とともに、人生のいかなる試練(しれん)、なかんずく自他共(じたとも)の生老病死(しょうろうびょうし)の苦悩(くのう)を打開(だかい)する挑戦だ。
 同志とともに、現実社会の課題に立ち向かって、幸と平和の連帯を広げゆく挑戦なのである。
 御本仏・日蓮大聖人は、熱原(あつはら)の法難の渦中(かちゅう)、21歳の南条時光(なんじょうときみつ)に烈々(れつれつ)と呼び掛けられた。

「願(ねがわ)くは我(わ)が弟子等(でしら)・大願(だいがん)ををこせ」(1561ページ)
 そして、法華経の一文「願くは此の功徳を以(もっ)て普(あまね)く一切に及(およ)ぼし我等(われら)と衆生(しゅじょう)と皆共(みなとも)に仏道(ぶつどう)を成(じょう)ぜん」(同ページ)を贈られたのである。

  題目を唱え、「広宣流布の大願」に挑(いど)む生命は、妙法と一体であり、仏と一体である。ゆえに、宇宙大の功力(くりき)が漲(みなぎ)らないわけがない。
 だからこそ、競(きそ)い起(お)こる難(なん)を勝(か)ち越(こ)えて、縁(えん)する家族も、友人も、春属(けんぞく)も、「一生成仏」という永遠の幸福の軌道(きどう)へと、確かに牽引(けんいん)していけるのだ。

 地涌の菩薩(ぼさつ)とは、いかなる存在か。時を逃(のが)さず、自(みずか)ら誓い願った天地に躍(おど)り出て、久遠元初(くおんがんじょ)からの使命を果たしゆく「挑戦」の勇者に他(ほか)ならない。わが学会こそ、地涌の挑戦のリズムが脈打(みゃくうつ)つ陣列(じんれつ)なのだ。
 私の胸には、大関西の草創(そうそう)の母の叫(さけ)びが蘇(よみがえる)る。
 「寝(ね)ても覚(さ)めても、みんな幸せになって欲(ほ)しゅうて、人材が欲しゅうて、一心(いっしん)に歩き回りました」と。

 創価とは
  挑戦王の
   異名(いみょう)なり
  溢(あふ)れんばかりの
    勇気で勝ち切れ

 幾(いく)つになろうと、挑戦を止(や)めない信仰者の命は、ますます若々しく、ますます朗(ほが)らかに冴(さ)え光る。

 「いよいよ強盛(ごうじょう)の御志(おんこころざし)あるべし、冰(こおり)は水より出でたれども水よりもすさまし、青(あお)き事は藍(あい)より出でたれども・かさぬれば藍よりも色まさる」(1221ページ)と御聖訓に仰せの通りである。

 法華経の会座(えざ)では、年を重ねて疲弊(ひへい)していた長老(ちょうろう)たちも、未(いま)だかつてない師匠の師子吼(ししく)に歓喜踊躍(かんきゆうやく)し、生まれ変わった息吹(いぶき)で、今再びの挑戦を開始した。

 信心の心は自在であり、誓願(せいがん)の祈りは無限である
 「いままで・しりぞかせ給わぬ事申(こともう)すばかりなし」
(1224ページ)健気(けなげ)な母を讃(たた)えられたこの一節は、創価の多宝(たほう)の父母への御賞讃(ごしょうさん)と拝(はい)されてならない,

 わが師・戸田域聖先生は、「信心こそ惰性(だせい)を打ち破(やぶ)って、自分も家庭も地域も、一つ一つ、より良く変えていくための挑戦である」と指導された。
 どんな小さなことでもよい。具体的(ぐたいてき)に明確に祈りながら、新しい何かにチャレンジしていくことだ。
 一日に一人でもよい。真心込(まごころこ)めて声をかけ、励(はげ)まし、仏縁(ぶつえん)を結んでいくことだ。

 「3・16」の後継の儀式(ぎしき)から60周年――。
 今、うれしいことに、華陽(かよう)の乙女(おとめ)、創価の若師子、普賢(ふげん)の俊英(しゅんえい)が溌刺(はつらつ)と地涌の拡大に挑(いど)んでくれている。
 この若人たちと共々に、わが地域に新たな「挑戦の友」を一人また一人、増(ま)やしていこうではないか!
 栄光(えいこう)は、朗(ほが)らかな「挑戦王」にこそ輝(かが)くのだから!​


1月 ​​未来までの栄光ひらく一年に !​

池田大作


 初代・牧口常三郎先生と二代戸田城聖先生が、日蓮大聖人の仏法を信奉(しんぽう)なされたのは、1928年(昭和3年)のことである。
 仏法の日本流伝より700年にして、御本仏が出現され、さらに700年を経て、創価学会が誕生した。
実に壮大にして、不思議なるリズムといってよい。

 牧口先生が深く拝されていた御文は、「観心本尊抄」の「天晴(てんは)れぬれば地明(ちあきら)かなり法華(はっけ)を識(し)る者は世法を得可(うべ)きか」(254ページ)の一節であった。
 この仰せのまま、57歳で実践を開始した先生は「言語に絶する歓喜」をもって、それまでの生活を一新し、「暗中模索(あんちゅうもさく)の不安」や「生来の引っ込み思案」も一掃(いっそう)できたと感激し、感謝しておられる。

「随喜(ずいき)するは信心なり信心するは随喜なり」(835ページ)という地涌の生命の躍動が、ここにある。
 牧口先生は、広宣流布と立正安国へ、いよいよ遠大な目的を掲(かか)げ、畏(おそ)れなく大胆(だいたん)に、諸天善神(しょいぇんぜんじん)を揺(ゆ)り動かしながら、勇猛精進(ゆうもうしょうじん)していかれたのである。

 日蓮仏法の奥義(おうぎ)は、果てしなく深遠(しんえん)である。
 学会精神の真髄(しんずい)は、どこまでも崇高(すうこう)である。
 先師と恩師の入信から90星霜。創立の父が殉教(じゅんきょう)の日まで貫(つらぬ)き通された偉大な初心に、私たちは、今再び、全世界の新入会の友と一緒に立ち返りたい。

 「うれしきかな末法流布に生れあへる我等(われら)」(1439ページ)と胸を張り、「太陽の仏法」とともに、生活を社会を、そして世界を照(て)らし晴らしていくのだ。

 創価山
  来たれる友は
   金色に
  いのち輝く
    勝ち鬨城かな

 我らは、この一年を「栄光の年」と定めた。
 「栄光」は、どんな逆境でも、太陽のように一日また一日、たゆまず前進し抜く生命に輝きわたる。
 大聖人は、紛然(ふんぜん)と競(きそ)い起こる三障四魔(さんしょうしま)」に立ち向かう池上兄弟と夫人たちを励まされた。
 「今度ねうじくらして法華経の御利生心(ごりしょうこころ)みさせ給へ、日蓮も又強盛に天に申し上げ候なり、いよいよ・をづる心ねすがた・をはすべからず」(1084ページ)
 思うにまかせぬ時こそ、「今に見よ」と歯を食いしばって勇敢に祈り、勇敢(ゆうかん)に戦い続けていくのだ。
 御本仏が、厳然と全てを御照覧(ごしょうらん)くださっている。
 悪戦苦闘の只中(ただなか)でこそ、栄光の因(いん)が刻(きざ)まれる。いな、それ自体が、未来までの栄光の物語となるのだ。
 我らには、題目という究極(きゅうきょく)の生命の勝ち鬨(どき)がある。


 「法華初心成仏抄」には、明快(めいかい)に説かれている。
 一度妙法蓮華経と唱うれば一切の仏・一切の法・一切の菩薩(ばさつ)一切の声聞(しょうもん)・一切の梵王(ぼんのう)・帝釈(たいしゃく)・閻魔法王(えんまほうおう)・日月(にちがつ)・衆星(しゅせい)・天神(てんじん)・地神(ちじん)・乃至地獄(ないしじごく)・餓鬼(がき)・畜生(ちくしょう)・修羅(しゅら)・人天(にんてん)・一切衆生(いっさいしゅじょう)の心中の仏性を唯一音(ただひとこえ)に喚(よ)び顕(あらわ)し奉(たてまつ)る功徳・無量無辺(むりょうむへん)なり」(557ページ)

 今日も、妙法の音声(おんじょう)を朗々(ろうろう)と響(ひび)かせ、わが家族、わが友、わが地区、さらには、わが国土からも仏性を涌現(ゆげん)させながら、自他共の栄光を勝ち広げよう!

 末法一万年の果(は)てまで、大法弘通(だいほうぐつう)を託(たく)されている学会だ。
「この一年あればこそ」と後世から謳(うた)われゆく栄光の歴史を、共々に飾(かざ)り綴(かざ)ろうではないか! 


  • 最終更新:2018-12-21 13:17:55

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